[対談] マチオモイ帖、はじまりのものがたり。

はじまりはある女性クリエイターの純粋なふるさとへのオモイ。だけど、個々の小さな点をつないでみればリアルでやぼったくて、それでも愛しい人が住んでいる等身大の日本の姿が見えてきました。 そこに私たちは何かしらのこの国の希望を見たのかもしれません。
【わたしのマチオモイ帖制作委員会】
清水柾行(アートディレクター/aozora代表)
築山万里子(プリンティングディレクター/アサヒ精版印刷株式会社
村上美香(コピーライター/株式会社一八八
廣瀬圭治(アートディレクター/キネトスコープ社 代表)
【聞き手】
堂野智史(メビック扇町
しげい帖の誕生

村上= 私のふるさとは瀬戸内海の因島。実家は農家で、みかんやスイカを作っています。

堂野= 僕も因島にはよく行きましたよ。学生時代、造船業の研究をやっていたので、尾道から向島に渡り、そこからフェリーに車を積んでね。穏やかでいいところです。

村上= ありがとうございます。ただ、ふるさとがふるさとのまま有りつづけることは難しいでしょう。年老いていく父や母、島の将来ために何かしたいと思いながらも、今は大阪暮らし。正直、何も出来ずにもやもやとした日々が続いていました。

築山= 村上さんの詩や本には、以前から、ふるさとへの思いが散りばめられているんですよ。

村上= コピーライターとして長年シゴトをしてきましたが、母からの手紙にはかないません。都会で暮らす娘が四季を忘れないように「ひまわりが咲いたよ」「みかんを送ります」「下を向いていたらいいもの書けないよ、空を見てごらん」など書いて送ってくる。そんな母からもらったコトバを、都会で迷っている人に届けたいというのが私の作品づくり原点です。

堂野= 『しげい帖』には、観光ガイドには載ってない村上さん目線での瀬戸内の風景が、写真と詩でやさしく綴られていますね。なぜ、このような冊子を作ろうと?

村上= ある日、重井町の世話役の方から「春にイベントがあるから、重井町のことを何か書いてみませんか?」と誘われました。私は、はじめて重井町の人たちに何か発信できるのが嬉しくてアイデアを練り始めました。絵葉書にしようか、詩集にしようかと。

築山= いつもにも増して悩んでいましたね。書くだけではなく、島の人とコミュニケーションできるものを作りたいって。ちょうど、そんな頃に東日本大震災が起こったんです。

村上= 私も海沿いの町で育ちましたし、ニュースから聴こえてくる東北の「○○町」「○○町」「○○町」という地名が耳から離れませんでした。直接的な支援ではありませんが、日本中の人がまわりまわって支え合えるように、まず、自分のふるさとを記憶しておく冊子を作って配ることにしたんです。それが、『しげい帖』。

堂野= 町の人たちの反応はどうでしたか?

村上= 喜んでくださいました。『しげい帖』に掲載した「重井町クイズ」で遊ぶ人や、小学校の校歌を口ずさむ人も。それで、ふるさとが過去の町ではなく、今を生きている町であることを実感。私と、重井町との新しい関係がはじまりました。